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お題【記憶に残っている、あの日】僕にとっての親友とは。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

僕にとっての親友とは。

 

 

親友
友人をそう呼ぶ時、どこか気恥ずかしく感じるのは僕だけだろうか。人生に於いて、各々のシーンで沢山の友人に出会うことだろう。しかし親友と呼べる友は数人しかいないものだ。もしも、そんな親友がある日突然親友でなくなる日が訪れたとしたら、あなたはどうするだろう。忘れもしない小学6年生のあの日。卒業を間近に控えたあの日ー。


彼とは小学5年生の時に出会った。それまでにも顔を合わせることはあったはずだが、どこか引っ込み思案で気弱な少年であった僕にとって、Yは別の種族の人間にさえ見えていたのだろう。体格。運動神経しかり。接点という言葉すら知らなかった少年は、これまでYと話したことは一度たりともなかった。

 

ある日のこと
教材の片付けを先生は僕に依頼した。そしてYにも。いつもなら、ただめんどくさいと思っただろうが、この時だけはそうではなかった。教材でYがふざけて吹っ掛けてきたからだ。まるで家族参加クイズ番組の司会者のように。

「この中でぇ~! 形が同じものはどれとどれでしょ~か!?」「これ?」「ブ~!」

教壇の上で他愛もない話をするうちに、二人は意気投合していった。Yは別の種族でもなんでもなく、僕と同じ普通の少年だったのである。チャイムが鳴るまでの僅か10分程の時間。それは二人が親友になるには充分であった。

 

それからというもの二人は何をする時も一緒だった。そう下校さえも。互いの家に一緒に帰宅することが日課となった。

Yの家は団地だった。両親と姉、そして二つ下の弟。それが彼の家族だった。Yの家族は、あだ名で呼掛けてくれるほどに僕を快く迎え入れてくれた。

 

Yは僕ができないことが何でもできた。ローラースケート。ボート漕ぎ。そして色々な事を知っていた。

よくカンフーごっこをして遊んだ。思えばジャッキー映画を好きになったのもその頃だ。龍拳のラストバトルのカッコよさは今でも忘れない。

Yは僕以上に戦車大好き少年で、模型店によく足を運んだ。大雪の庭ではリモコン戦車のプラモが大活躍もした。自転車で団地内を走り回ったりしたこともあった。乗り回しすぎて前歯を欠いてしまうほどに。

学校や公園、団地に駄菓子屋。川や池、駐車場にグランド。どこかでいつも遊んだ。いつも一緒だった。

気が付けば、僕はローラースケートも、ボート漕ぎも上手になっていた。

 

 

そんないつも通りのはずだったあの日
新規投入車両のお披露目会と銘打ち、Yの部屋でリモコン戦車遊びをした時のこと。

Yの戦車を手に取って眺めていたその時、うっかり車輪の固定部分が欠けてしまった。膝元に落下したその車輪は、実車のそれとは比べ物にならないくらい脆かった。旧ドイツ軍4号戦車。次に何を買うか迷っていたYに僕が推した車両だった。それなのに。

「気付いたら割れていた。重さに耐えられなかったのかも」

お茶菓子を手に戻ってきたYに、あろうことかその場しのぎの嘘をついてしまった。小学生とはいえ、こんな嘘すぐに分かるはずだ。今思えば。

ところがYは怒ることも嫌な顔もせず、大好きな戦車の末路に一瞬だけ驚いたあと、ただ「そっか」とだけ言った。どうにかやり過ごせたと思った。ただYがわずかに見せた悲しげな目だけが少し気になった。

あくる日、学校で顔を合わせたYは、いつものYだった。いつものように他愛もないことで笑い合っていると、昨日のあれは錯覚だったのかと思えてくる。戦車は壊れてなどなかったんじゃないか、と。

* 

6年生の夏
夏が憂鬱だった。プール開きが近づくにつれその気持ちは増した。そう、僕はかなづちだったのだ。水泳の等級は、泳げない者から順に赤帽、黄帽、青帽となっていた。クラスに赤帽は3人しかいなかった。そんな僕にYは泳ぎ方を教えてくれた。彼は青帽だったのだ。

その夏、赤帽は2人に減った。昇級テストで必死に励ましてくれたYのおかげで。

 

本当に仲の良い友達だった。親友とは彼の事を言う言葉だった。それなのに。

 


同じクラスのIと話す機会が増えたのは、冬休みも明けた頃だった。Iはどこか物静かで、同時に寂しげな雰囲気を持っていた。いつも一人でいた彼に声を掛けたのは大した理由などない。いやそれとも、同じくしてYも同じクラスのMとやけに話しているのを見ていたからなのか。Iは性格も優しく、気が合うところがあった。

その頃からだろうか。Yと過ごす時間が減っていったのは。しかしこれが後にあんなことになるなんて、この時には知る由もなかったのである。

 

そして訪れたあの日
そう、あれは卒業を間近に控えた、春と呼ぶには肌寒い日だった。引き出しに紙切れが残されていて、見覚えのある字でこう書かれていた。

「今日の放課後、プール裏に来い」

胸の鼓動が一気に高鳴るのを覚えた。それが親友あての言葉でないことに気付いたからだ。

放課後。そこにはYがいた。時々遊んだTとともに。
「お前は仲間を裏切った」Tが言った。どうやら最近Iと仲良くしていたことを言っているようだった。もちろん、そんなつもりは微塵もないのに。Tだって大好きな友達だと思っていたのに。しかし取り繕う余裕などなかった。僕は無力だった。

初めて胸ぐらを掴み合った。不思議とYを悪くは思わなかった。ただ胸のあたりが強く締め付けられるように苦しくて、何度も涙が出そうになった。なぜYは僕の胸元を掴んでいるのか。何がこうしてしまったのか。何がいけなかったのか。もし答えを知る者がいるのなら、教えて欲しかった。

あの日あの時言えなかったこと。もしもあの言葉を言えたなら、こんな喧嘩をすることもなかったのだろうか。

翌日、Yは眉をひそめながら言った。
「ローラースケート、早く返せよな」

それは友達に向けられたものでさえなかった。当時の言い方ならば絶交と等しいものだった。

 

ローラースケートを返しに行った日
Yに会うのが怖かった。決して責められることを恐れたわけではない。

借りたままのローラースケート。上手くなれるよとYが貸してくれたローラースケート。それは今まさに僕の手を離れようとしている。数え切れないほどの思い出とともに。

スケートは玄関先に置いてきた。上手く滑れるようになったのなら、もうこれは不要なのだと言い聞かせながら。今でもローラースケートを見るたびに思い出す。

* 

中学校では卓球部に所属した
入部先を決める前、体験入部でYの姿を目にした。目を合わすこともなく体験会は終了を迎えようとしたが、終わりのミーティング、気が付くとYが隣に座っていた。あの頃、何する時も一緒でいつも隣にYがいた。そして今隣に座るYは、喧嘩をしたあの日のYとは違うのではないか。不思議と僕にはそう感じられた。

「靴下、ワンポイントが入っちゃってるよ~?」

何も発せずただ座る彼に、言った。その声は震えることもなく確かに友人に向けて発せられたものであった。彼は一瞬だけ足元に目を移すと、何も言わず、ただその場に座り続けるだけだった。Yは卓球部に入部しなかった。

それ以後、Yが何部に入ったかは分からない。卒業まで同じクラスになることもなかったし、どうしていたのかさえも知ることはなかった。ただ分かった事は、Yが住んでいたあの団地にYの表札がなくなっていたということだけだった。

今でも時々考える。なぜYはあの時隣に座ったのかと。そんなYに一言ではあったけれど素直に話しかけた僕。もしかしたらYも同じ気持ではなかったか。少なくともお互いに喧嘩したことは忘れていたはずだ、あの瞬間だけは。そう思わずにはいられなかった。

あの日のことを忘れない
あの日あの時壊れたもの。なぜ素直に言わなかったのか。否、言えなかったのか。あの時見せた表情にはどんな意味があったのだろう。

ローラースケートを返した日。なぜただ置いてきてしまったのか。ポツンと置かれたそれを見て、彼はどう思っただろうか。

Yにまた会いたい。いや、会わなくちゃいけない。会って素直にあの日のことを謝りたかった。

 

帰省した日
中学校の周辺は宅地化が進んでいた。毎日歩いた雑草だらけの家路はすでになく、区画整理された綺麗な街並みに変貌していたのである。それとは対照にYが住んでいた団地はそのまま残っていて、団地棟が立ち並ぶ様相は何ら変わってはいなかった。

気が付けば、団地の中へと車を走らせていた。あの先のカーブを抜ければ見えてくるはずだ。ほどなくして視界に飛び込んできたのはまぎれもない、あの懐かしい橙色の建物だった。道端に車を停め、その地に足を踏み入れる。ツタが垂れさがり草が繁茂こそしてはいるが、その変わらぬたたずまいにただ立ち尽くすばかりだった。

すると、さっきまで助手席に座っていたはずの息子が隣で言った。

「どうしたの。何を見ているの」

心配そうに見つめる息子を前に、深く呼吸をしてから答えた。

「ここに住んでいたんだよ。親友がね」

その時、やっと気が付いた。

Yを気に掛け、会いたいと思い続けている限り、Yは親友のままでいたということに。そう、何も変わってなどいなかった。僕にとってのYは気恥ずかしくもなく言える、たった一人の親友だったのだと。

Yよ。いつかきっと会いに行くよ。そして今度こそこう言うよ。「ごめんなさい」と。