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【権現堂】冬バスの夜釣りを振り返る。どこを狙ったのか? 準備した装備はどうだった? ヒートベストは?(行幸湖)

 

冬バスの夜釣り。
本当に釣れるのかと半信半疑だった。

釣れた場所は橋脚周りの水深50㎝もない、どシャロー。

権現堂でこれまでに釣ってきたバスはそのほとんどが護岸がらみ。橋脚周りで釣った経験はほとんどない。それほど権現堂での橋脚は、釣れないというイメージが強かった。

 

しかし今回のバスは、その橋脚がらみだった。それだけ冬の夜がバスへのプレッシャーを和らげていた、ということなのだろう。

今釣行は何もかもが初めてづくしだった。

そこで、夜釣りで感じたことや、準備した装備の具合はどうだったか、まとめておこうと思う。

 

 

釣行データ

  • 釣行日時:令和3年12月16日(木)18:10~22:00
  • 場所権現堂川行幸湖・茨城県
  • ポイント:キューピーエリア・東岸一帯
  • 天候:晴れ時々曇り、無風
  • 気温:9~7℃(18:00~22:00)
  • 月齢:上弦11.8(※当月の満月は14.8*1
  • 水位:AP 4.98m(行幸給排水機場水位)
  • タックル
    (竿)ダイワ・ハートランドZカワスペ802MRB-T
    (リール)ダイワ・TD-X105PV
    (糸)フロロ12lb(5mごとに夜光塗料塗布)
    (ルアー)
    CB-100(ロスト)→ シャローチャップリンバス44cm)→ クラシカルリーダーSR(ロスト)→ CB-50
  • 釣果:バス44cm
  • ヒットルアー:シャローチャップリン(チャート)
  • ヒット時刻:午後8時40分

 

権現堂川での冬バス夜釣りQ&A

そうそう機会のない冬バスの夜釣りを、Q&A形式でまとめてみた。

権現堂川の状況

権現堂川での初めての冬の夜釣り。その時に感じた事とは。

月の明るさはどうだった?

満月の3日前だったけれど、月明かりで釣りがしやすかった。
少なくとも満月日を入れて前後3日間を合わせた7日間は、夜釣りに向いていると思う。

権現堂で他に誰か人はいた?

少なくともキューピーエリアには、誰もアングラーはいなかった。

冬の夜の権現堂はどうだった? 怖くない?

月明りもあったせいか、怖くはなかった。でも少し背後が気になることも。

 

装備は結局どうだったのか

事前にあれこれ検討して用意した装備。その使い勝手のほどは?

ヘッドライトはどう? 明るさは? 電池の持ち具合は?

移動時のほか、糸の結び直し、ルアー交換、根掛り時などは点灯したけれど、ライトで照らしてもルアーもラインも目視できず、バスに警戒されそうだったので結局実釣時は消灯した。工場照明や橋、月明かりだけで何とかなった。

明るさは、今回に限定していえば300ルーメンで全く問題なし。連続点灯はしなかったので、電池の持ちはわからない。

ヘッドライトのセンサーモードって?

結局センサーモードは使わなかった。うまく機能すれば便利だったかもしれない。

ヒートベストはどう?

当日は無風で比較的気温が高く、ヒートベストの温度は弱にして着用した。それでも暑く感じる時もあったほど。もっと寒い日じゃないと真価は発揮できないかもしれない。

ネックピローはどうだった?

これが意外に当たりだった。思った以上に首回りが暖かかったし、肩も凝らなかった。

 

結局のところ夜の釣りはどうだったのか

昼とはまた違った感覚の夜釣り。実釣で分かったこと。

狙ったポイントは?

事前に予定していた護岸沿いを、水際より約2.4m付近にある水中護岸の際を狙って釣り歩いた。

釣り方は?

シャロークランクのみを使用して、水際から2.4mラインとそれ以浅の部分に1キャストずつ計2キャストして反応がなければ移動、を繰り返した。
水深は0.6~0.7m程度の部分を狙ったので、シャロークランクといえども容易にボトムノックする。それによって2.4mラインを攻めている確認とした。

バックラッシュしなかった?

不安もあったけれど、慣れると何とかなった。月明りで着水が見えたので、そこでサミングすればバックラッシュはしなかった。

ラインは見える? 何か工夫はしたの?

軌跡が分かるようにと、5mごとに糸に夜光塗料を塗布してみた。しかし夜光塗料の発光はごくわずかで、ほとんど見えなかった。

蛍光ラインを使って、ブラックライトのヘッドライトを装着すればまた違ったかもしれない。

夜光ラインの発光

夜光塗料を塗布したラインの発光状況
温排水があったみたいだけど

工場排水だから温かいかもとは思っていたけれど、昼間ではパッと見、分からなかった。夜だからこそ湯気で一目で分かった。

キューピーエリアでは、温排水が数か所あることがわかった。

キャスト時のルアーは見える? 着水時は? リール音は?

飛行中のルアーは見えなかった。ただ月明りで着水自体は目視できた。また、事前に考えていたリールのスプール回転音は、ニット帽を深く被ったせいなのか全然聞き取れず、回転音を頼りにサミングする方法はできなかった。

リール巻き回数でキャスト地点を判断する方法はどう?

これは正解だった。水際から2.4mラインより沖目に投げてしまっていても、この方法で判別することが夜でもできた。
手持ちのクランクがリール何回転でどれくらい潜行するのか把握しておくと、何かと役立つと感じた。

CB-100のあと、チャップリンを選んだ理由は?

シャローチャップリンは今まで1度も使ったことがなく、この機会にと思っていた。ただ、クランク特有のウォブリングアクションではなく、おとなしめでナチュラルな動きをするので、夜釣りではちょっと頼りない感じはした。

それにしても、まさかこれで釣れるなんて。

44cmを釣ったあと、どうしてチャップリンを使い続けなかったの?

チャップリンは、すでに廃番になっていたから。せっかくのヒットルアーをロストしたくはなかった。案の定、その後に投入したクラシカルリーダーSRは、ロストしてしまうという結果になった。

ヒットした時の状況について教えて

権現堂が最低水位の時、橋脚と水際との間のスポットは一見良さそうに見える。ところが昼間によく見てみるととても浅く、魚がいそうには思えない。
ただ夜釣りということもあり一貫してシャロー狙いと考えていたので、こんなポイントでもワンチャンあると思った。

橋の照明で明るく照らされている中、今回のポイントは橋自体により陰となっている部分であった。

キャストして巻き始めたそばからボトムノックしたのでやはり浅いと思い、ロッドを高く構え直して巻き続けた。その直後、竿が絞り込まれたのはレポートのとおり。

他にアタリは無かったの?

アタリのような何かは1,2度あった。しかし低水温ゆえのショートバイトで針掛かりしなかったのか、それとも魚でも何でもなかったのか...。

 

反省点、今後について

反省点はある?

釣行記にも書いたけれど、ランディングネットを忘れてしまったこと。
当日の仕事帰り、ネットを取りに自宅に戻るかどうか何度も自問自答したりと葛藤があった。釣り開始時刻が遅れてしまったけれど、結果的にネットを取りに戻って良かった。

それと、当初の計画では2時間程度で終了するつもりが、何だかんだで4時間近く粘ってしまったこと。翌日の仕事に響いてしまった。

冬の夜釣り、また行きたい?

次行ったとしても同じように釣れるとは限らないし、もういいかな。だけれど、色々計画して準備を進めた末にやっと釣った一匹は本当に嬉しかった。あの嬉しさは何らかの形でまた味わってみたい。

 

 

 

最後までお読みくださり ありがとうございました。

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*1:満月の月齢は13.9~15.6で、時期により変化すると言われている

なけ。

あれはまだ20代前半の頃。前職に就いて数年経ったある日のこと。

係長は言った。

「○○君。けよ。いいか、嘆くんだかんね?」*1

 

僕は係長が何を言っているのか、よく分からなかった。

悲しくもないのに泣けと言われても。

 

あれから20数年。

最近になってあの意味がわかった。

仕事でも私生活でもそうだけれど、人生いいことばかりではない。むしろ、悪いことの方が多いように思える。順風満帆に生きていければと思いたいけれどそうはいかないのだ。

毎日のように嫌な事もあれば、つらい事だってある。

そんな時こそ、「なけ」と言っていたのである。

嫌なことがあった時、辛い時、自分一人で抱えるな、そう言っていたのだ。

遠慮せず気を使わず「なけ」と言っていたのだ。

 

それに気が付いた時、心がすぅーと軽くなった。

誰にも相談できず、誰にも助けてもらえない。そんな人は多いかもしれない。

そんな時は「嘆け」である。

 

「嘆いたところで何も変わらない。むしろ後ろ向きな気持ちになるから嘆かない方が良い」

なんて言う人もいるかもしれない。

しかし人間は弱い生き物である。なきたいときは泣いてもいいのではないか。

思いっきり嘆いてもいいのではないだろうか。

 

後から知ったのだが、当時、係長が「なけよ」と言ってくれた時、係長のとある同僚が自ら命を絶ったということだった。

もしも「ないて」いたら、彼は思いとどまることができたのかもしれない。

 

あの時「なけ」と言ってくれた係長はとうに定年退職していた。

「なけ」の本当の意味は聞かず終いだけれど、それで救われた自分がいる。

 

今自分にできるのは、同じように一人で悩む者に「なけよ」と声を掛けることだ。

 

そう、あの日係長が声を掛けてくれたように。

 

 

*1:I 県では嘆くことを「なく」と言う地域がある

【小説】「あと少し、もう少し」中学生の息子がボロボロになるまで何度も読み返した小説とは!?(感想)  

「HRの時間を利用して小説を読むことになった。いったい何がいいだろう?」

中学生になったばかりの息子が言った。しかしそんなことを聞かれても、小説など小学生の頃に「巌窟王」だの「十五少年漂流記」を読んだことがあるだけである。(それも児童向けの、だ)それ以来、かれこれ40年近く読んではいない。

ひとまずネットで調べてみる。

「中学生 おすすめ 小説」検索。

そこで出てきた小説が、この「あと少し、もう少し(瀬尾まいこ著)」だった。

 

本の表紙を眺める。中学駅伝を題材にした青春小説。勝利をつかむまであと少し、もう少しと奮闘する話と容易に想像がついた。そのタイトルは平凡に思え、とりあえず息子には勧めてみたものの、特に気にとめるモノでもなかった。

 

購入から1年程過ぎたある日、息子の机をふと見た時、それは目に入った。

それは、どこかで見た、しかしボロボロになった小説だった。あちこち折れ曲がり、カバーは所々破れ、しかしテープで補修はしてある。どう見ても2度や3度読んだだけではこうはならないだろう。

そう、それがあの時購入した「あと少し、もう少し」だったのである。

折しも、ブログというものを始め、文章を書く機会が格段に増えていた。自分でも知らず知らずのうちに、書くのが楽しく感じられていたころ、次第にもっとうまく書きたい、とも思っていた。そのために必要なことは何よりも「書くこと」に他ならないのだろうが、もう一つあった。他の文章を徹底して読むことだ。そう思っていたところにこの小説が目に入ったのである。

中学生が主人公であり、中学生にも読みやすいのならこれまで活字を読むことから相当離れていた自分にもすんなり入れるだろう、そう思った。

 

果たして読み始めてみてびっくりした。どんどん引き込まれていく。あちらこちらに伏線が張られているのにも気が付く。言葉の表現が描写が、怒涛のように書き綴られていく。これが小説というものか。これが人を惹きつける文章というものなのか。そう思わずにいられなかった。気が付けば、最後まで読み終わっていた。

もっと早く読んでいればよかった。それが率直な感想である。

 

「あと少し、もう少し」とはどんな物語だったのか? 

 

「駅伝」とは団体競技なのか? それとも個人競技なのか。

一人だけで競うわけではないから、団体競技である。しかし、走る時は一人だ。チームの仲間からの助けなどない。ただ自分の力だけで走り抜き、次の走者へ襷を渡すだけである。

 

- 本当にそうだろうか?

もしそうだとすれば、なぜ箱根を走る駅伝中継に誰もが釘付けになるのだろう。なぜ感動せずにいられないのだろう。それは、たった一人で走る彼らには、それまで繋いできた仲間の想いが、これから繋ぐ仲間への想いが込められているからに他ならない。

この小説には、駅伝に対する、いや駅伝と一括りにしてしまったら余りにも単純であるが、少年たちの想いが、痛いほど言葉を通じて読み手にこれでもかとばかり突き刺さってくる。目頭が熱くなってくる。 

 

 

彼らはなぜ走るのか。

なぜ最後まで走ろうとするのか。

誰にも自分しか知りえない過去がある。いや、もしかしたら自身でさえ理解していないのかもしれない。少年たちが抱える純粋な想いを、襷(たすき)にのせて彼らは走り続ける。あと少し、もう少し。駅伝を通して、仲間を、そして自分自身を見つめ直す。駅伝があったからこそ、お互いを知ることができる。果たして襷は繋がるのか。人と人との繋がりは一体どこまで続いていくのだろう。ひたむきに前を向きゴールを目指す彼らの先にあるものとは? その結末は是非手に取って確認していただきたい。

感動の青春小説、今、号砲が鳴り響く!

 

 
※この記事は、半年程前に執筆したものの下書きのままになっていたものを投稿したものです。

不安な時こそ。

不安に駆られたとき。

心配で落ち着かないとき。

 

そんな時にできる最善の方法は

今、自分ができる事、やるべきことに全力を尽くすことである。

 

不安に心を奪われ、今できることを疎かにすべきではない。